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ホモデウスの下巻を読み切りました。

 

古代から見ると、短期間での成長というのはあり得なかった。だれかが小麦を多く収穫したらだれかの収穫量が減るからだ。つまりゼロサムゲーム。

 

でも今や成長が宗教のようになっている。

 

例えば、親が病気のときに大事な商談があったとする。強欲な上司は必ず出席させようとしてくるが、それは正しいのか?成長だけを是の基準とすると正しいかもしれない。だが、ミクロ、自分の視点でそれは良い事なのか?

 

もしかしたらわざと成長しない人が今後の最先端になる気さえしてくる。

 

全てのことは移り変わる。細胞、社会などすべて変わるので昔の想いに執着する必要もない。子供のころにサッカー選手になりたかっただけで、わざとそう思い込んでいるだけかもしれない。

 

今後は患者の奥底の答を見つけだすのがセラピストであり活躍するのだろうか。しかし、本当の想いや自己というものはあるのだろうか。

 

人殺しや浮気が悪いのは誰かを傷つけるからだ。もし、誰も傷つけずに自分と相手がいい気分ならとがめられる筋合いはないのではないか。ということは感情を傷つけることが罪なのか?

 

マルセルデュシャンの泉みたいに、芸術とは何なのだろうか。

それぞれの見る目が芸術だと言える。

 

ということは誰が言うかではないのだろうか。その誰かを作り上げるのは、結果な気がしている。

高級レストランは経験を売っている。それで人は学んで高いお金を支払っている。

 

知識=経験×感性

 

民主的な選挙が効果を発揮する時は、共通の思想や土台を持っていなければいけない。

例えば日本の政策を決めるのに、エルサルバドルの人と決めたって納得するわけがない。

 

自由意志というのは本当の自由ではないのではないか。

というのも、なぜその考えを思いついたのか考える。それができたのなら1分間何も考えないこともできるはずだからだ。

全てはニューロンの発火で起こるのではないか?

 

悲しい時は自分が悲しむという選択をしているから。うれしい時はうれしいという選択をしているから。

 

自分には単一の自己があるというのは神話なのではないか?

 

空間把握をつかさどる右脳。

論理的に考える左脳。左脳が物語を作り出すらしい。

 

物語の最初と最後を平均するようになっていたりする。

 

空想に犠牲を払うほどしがみつく。

意味を与えたいから。

僕がこんなに苦しんだのはこのためだったと言いたいから。

 

犬死にしなかったとするために戦争を続ける。

幻想が苦しみに意味を与える。

 

牛をたくさん生贄にするからこそ神を信じる。

そうしないとなんのために牛を生贄にしているかわからないからだ。

 

企業もうまくいかないことにしがみつく。

過去の苦しみが意味なかったと認めなくて済むように。

 

やっぱり成功する覚悟が必要だと思う。悲劇のヒーローではなく。

 

これからは一生学び続けなくてはいけない。

 

クジラやコウモリがどのように感じたり見たり、においを感じているかは僕にはわからない。

 

もし物質を操作できても、どれをいじるかは謎。

 

全てを知ることは不可能なため管理がむずい。政治を全て知らない、技術もすべて知らない。現代は専門家する傾向があるからよりAIに代替されやすい。僕は重要なことを幅広く知りたいかも。

 

これからは奥底の感情より、アルゴリズムに聞けという時代になるかもしれない。

アンジェリーナジョリーのように。

 

ただの化学反応のため心を作り変えられるかもしれないしそうではないかもしれない。

すでに行動をグーグルなどに操作されている可能性もある。

 

自分の自己とは何なのだろうか。

 

だから就活がばからしいと思ったのかな。